読売交響楽団 第593回定期演奏会
友人に誘ってもらい、久々に読響の演奏会へ。
場所はサントリーホール、指揮はトマーシュ・ネトピルで、チェロ独奏はジャン=ギアン・ケラス。曲は以下の通り。
リゲティ《チェロ協奏曲》
休憩
スーク《アスラエル交響曲》
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モーツァルトは上手かったんだけど、モーツァルト特有のワクワク感や疾走感がなかったかなと思った。そんな真面目にやらなくていいのに……と言いたくなった。
読響のサウンドで面白いなと思ったのは、弦がしっかりしつつ、全パートがオンタイムで出てくるように聴こえたところ(素人の私見)。弦がしっかりしてるオーケストラは、コントラバスが早めに出てくることが多いように思うんだけど、読響は完全にタテが揃っていた。これは構築的・立体的な演奏を得意とした前任の音楽監督シルヴァン・カンブルランの修行の成果なのかなとも。
お次はリゲティのチェロソナタ。オーケストラの人たちは全員退場して、ケラスがひとり静謐な音楽を奏でた。てっきりソナタから協奏曲へシームレスに接続させるものだと思っていたので、少しびっくり。
ケラスは上手い。上手すぎる。平均律的でない音程も、信じられないほどの美音と弱音も、1人でクラスター的表現をするという(字句からしたら意味がわからない)ウルトラCも難なくこなしていて、世界最高レベルのチェリストの実力をまざまざと見せつけられた。
オーケストラの団員が再入場して、同じくリゲティのチェロ協奏曲。
冒頭は独奏チェロの最弱音。サントリーホールにいる人々を一瞬にして惹きつけてしまうケラスの力量は本当に素晴らしい。
あと、クラスター・ミュージックを書く方の中でも、それぞれの要素を関連づけようとする方と、独立させようとする方がいるように思うけど、リゲティは後者だと思った。
アンコールはバッハの1番。クラスターのあとのバッハは染みるね……
ケラスは凄く上手かったし、聴けて本当に良かったんだけど、やっぱり少し「上手過ぎる」きらいはあるのかなと思った。それは作曲家が想定していたであろう「ここは技術的に無理だけど、その無理なものにチャレンジする姿勢がいいんだ」という箇所を、圧倒的なテクニックで軽々と乗り越えてしまうから。
ある指揮者がシベリウスの交響曲のリハーサルを行った際、合わせるのが困難な場所を頑張って揃えようとしたが、その様子を見た作曲家本人は「何もわかってない」と言った……というエピソードを聞いた事がある。この日のケラスの演奏について、リゲティはどうコメントするのだろう。
(ちなみにケラスに対する指摘は、若き日のカラヤンも受けたんじゃないかなと妄想している)
休憩を挟んでアスラエル交響曲。ドヴォジャークの追悼曲ということでその影響が指摘されていたけど、正直そうでもなくない?と思った。個人的にはワーグナー的なものをチェコの文脈でやりたかった感じなのかなと思った。オーケストレーションも所々面白くて、コンマスソロと2ndヴァイオリントゥッティとか、ハープとティンパニとか変な組み合わせが見られた。ただ、曲そのものはあまり好みではないかな…
2019年11月29日(金)鑑賞