長唄シンポジウム
長唄住吉会の100周年を記念して行われたシンポジウムに参加。
歌川光一さんが「三味線音楽の奇跡と未来ーー「遊芸」から「たしなみ」そして「アイデンティティ」」と題したプレゼンテーションを行ったのち、パネラーの米原さんと高橋さん、および司会の吉住小三代さんを交えたディスカッションが行われた。
歌川さんは、「遊芸」「たしなみ」「趣味」の単語の使われ方に着目。「遊芸」については「師匠について芸を習う弟子がいる世界」と定義し、深入りはしなかった。「たしなみ」については「分別に応じて習得すべきもの」「披露できるもの」という2つの意味があると指摘しつつ、「たしなみ」と「たしなめる」が同じ語源であることを示して「分別」という要素を強調した。「趣味」という言葉については戦前と戦後で用法が変わったと指摘し、戦前は「オモムキ」「テイスト」という意味で、戦後は「テイスト」「ホビー」という意味で使われたことを示した。そして三味線は、身分に応じた「たしなみ」から「趣味」へ変わったと指摘。面白そうだったので単著読みます。
その後のディスカッションについては気になった点を列挙。
・箏は遠くから(家庭の奥など)聞こえるものであり、三味線はそうでない
・横笛を入れる袋は女性の名前がついている
・箏は上品さと、三味線は言葉遊びや色恋などの「下品さ」と結び付けられている?
・マスコミ的には邦楽は月に一回載るか載らないか
・戦前は毎日乗っていたことも
・80代は三味線に関して「遊女のもの」という認識
・若い人はまた違う認識。そもそもエロティシズムに関する認識違う
・「外国の音楽」的なアピールの仕方もアリなのでは
・youtube文化は、「披露」という面での「たしなみ」に近づいている?
・身体性のある言葉は翻訳しにくい(芸・国体など)
・新渡戸稲造『武士道』が示した「身の回りのものを視点を落として紹介する」姿勢(「愚妻」など)
・足を踏み入れにくい世界になっているのでは
これからの指針に関する提言としては以下の通り。
・「たしなみ」から外れる青年男性へのアプローチを
・家元制度は現実世界のオルタナティブになるのでは
・オリンピックにかこつけて流派関係なしの大合奏会を
・東京・京都だと埋もれるので鎌倉や藤沢あたりで
・鑑賞教室に組み込もう
・日本からの外交官に習わせよう
・ボトムアップを
2019年12月14日