電脳けん玉職人

らくがき

西川美和『きのうの神さま』

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5つの物語からなる短編集。


●「1983年のほたる」


「思ってたのと違う人だった」……この世の悲劇の主な原因を示す、端的な文章だ。


事故を起こしたバスの運転手は、逃げるかと思いきや助けを連れて戻ってきた。秀麗な匂坂さんは思いのほかぼやっとしていた。成績が特に良くなかった主人公は、伊球磨学園にさらりと合格した。


「思ってたのと違う人だった」……「思ってた通りの人」なんてこの世には存在しない。たぶん。


自分と異なる他者の生きる様を、そして自分の抱くイメージと異なる他者が生きる様を、さらに自分の抱くイメージと違う自分が生きる様を、本作は淡々と描く。この絶妙な温度感が、寒い冬にはありがたい。


●「ありの行列」


小説について語るという行為は、結局のところ小説を通した自分語りでしかないと思うし、なんなら小説を読むという行為そのものも、自分の人生経験を文章の中に見出すことでしかないとすら思う。


それを踏まえた上でも、この小説には自分の経験や恐怖が数多く埋め込まれていたなあと思う。

病気を偽ってでも外に出たいという思い、退屈は嫌だという叫び、結局は全てが冗談の文脈に回収される切なさとおかしさ。どれも自分が味わったことのあるものだし、医者としての働き方を悩む主人公は、医者を目指していた過去の自分に重なった。


安易な共感は危険だと言われるし、その通りだと思うのだけど、たまには共感に安住するのもいいかなと思った。


●「ノミの愛情」


「職場での完璧人間は、家に帰るとクソ野郎」というテーマは本当に人ごとだと思えない。実際、実家に帰るたびダラダラダラダラダラダラしてしまう自らの姿に嫌気がさす。人と暮らすとダメになりそうだから、1人で暮らしていこう……という当面の決心をより強くしてくれる一作。引退して専業主婦となっていた妻が、「看護師です」と名乗るラストはハッピー・エンドなのかバッド・エンドなのか……


●「ディア・ドクター」


父を目指す兄、兄を慕う弟、弟を優遇する父をめぐるホモソーシャルな関係が示された作品。

兄による「父親殺し」、人を救う父親、人に救われる父親、生死をめぐる述語の中で、主語と目的語がぐるぐると入れ替わる。


●満月の代弁者


地方で医者をすることの苦痛と喜びが描かれる。「医者とは医療行為のみを行う存在ではない」と、口では簡単に言えるけど、その苦しみの質を知ったうえでこの言葉をなお言えるのか……僕は自信がない。

 

2019年11月30日(土)読了