電脳けん玉職人

らくがき

村上春樹『女のいない男たち』

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短編集。


●「ドライブ・マイ・カー」


俳優の主人公、今は亡き妻、その妻と体の関係にあった俳優をめぐる欲望の三角形が示される。三人が同時に登場することはなく、「女性の不在(死)」のもとで俳優二人が酒を飲んだ様子が、女性のドライバーに語られる。綺麗なホモソーシャル的三角形が提示され、それは「快適な運転をする」女性へ一方的に語られる。


みさきは窓ガラスを下ろし、車のライターでマールボロに火をつけた。そして煙を大きく吸い込み、うまそうに目を細めた。しばらく肺にとどめてから、窓の外にゆっくりと吐き出した。

「命取りになるぞ」と家福は言った。

「そんなことを言えば、生きていること自体が命取りです」とみさきは言った。

家福は笑った「ひとつの考え方ではある」

「家福さんが笑ったのを初めて見ました」とみさきは言った。

そう言われればそうかもしれないと家福は思った。演技ではなく笑ったのはずいぶん久しぶりかもしれない。


もちろんキレのあるジョークに笑ったのだろう。でも、「権力関係の転倒」も笑いをもたらす原因の1つかもね。

 


●イエスタデイ


方言、出身地域、それらに対する意識など様々な面で対になっている男性主人公と、その友人男性の木樽。木樽は自分の彼女と付き合うよう主人公に頼むが、まさにこれもホモソーシャル的な「女性の贈与」だろう。贈り物は断られ(主人公と女性は付き合わない)、落胆した木樽は主人公からも彼女からも離れ、三角形は解体する。でも点と点はどのような位置関係にあっても直線で結べるように、彼らの関係は年月と距離を経てもなお遮断されない。以前よりもその直線は薄くなったかもしれないけど。

 


●独立器官


礼儀正しいプレイボーイが女性に惚れ込んでしまい破滅する様が、仕事上のパートナーであったゲイ男性(村上春樹はゲイをトロフィーのように扱うふしがあって好きじゃない)と主人公の語りを通して示される。恋愛は独立器官がもたらしたものだとする態度は本質主義的でもあるけど、病理化がアイデンティティ形成に役立つように、一種の救いにもなるのかもしれない。

 


シェエラザード


同級生の男子に想いを寄せ、彼の家に空き巣に入っていたことを語るシェエラザード 。「病気だった」という語りは過去との決別のためか。

 


●木野


傷を意識の外に置いた状態の心地よさと、それがもたらす災厄についての話。

 


●女のいない男たち


女性はトロフィーではない…とぼやきたくなる。

 

タイトルの「男たち」は、「各作品にそれぞれ違った男が登場する」ことと同時に、「各作品内で男と男のつながりが描かれる」ということも表しているなと思った。