真部清孝『『ポルノグラフ』あるいはポルノグラフィックな支線の誕生』
●語の歴史
1769年にレチフ・ラ・ブルトンヌ『ポルノグラフ』において「ポルノグラフ」という単語を初めて使用したが、それは「売春について論じる作家」という意味。その後「ポルノグラフ」の意味は変わったため、「売春」に関する構成の著作において本著は取り上げられない(その時にはもう「ポルノグラフ」という単語に「売春」の意味合いはないから)。
●レチフの売春世界
レチフは顧客として娼婦らのポートレイトを描く。彼女らを「下劣な職業」と呼ぶが、その視線には共感と同情がある(と論文の筆者は言っている)。ただ、あくまで買春者の視点であるゆえ売春の存在自体は疑われず、利用者を守ることに主眼が置かれる。
●パルテニオンの構造
売買春は根絶不可能なものとした上で、レチフは性病予防のために娼婦たちの施設を作ることを提唱する。その施設においては規律が支配するが、衛生面などに配慮がなされるべきとされる。女性たちは美貌によってランク分けされるが、これは資本力によって分類かされた男性に対応させたものである。
●同時代人の批評
この提案は不評であった
●いくつかの売春管理計画
このような構想は他にもいくらかあるが、それらは「売春」そのものへの着目され始めたことに起因する。
●ポルノグラフィックな視線の誕生
レチフは特に管理を徹底し、「まなざす存在」としての男性像を確立した
●感想
現代的な意味における「ポルノグラフ」の話ではなく、ほぼ「売春」の話。個人的には後世の「売春」ライターおよび「ポルノグラフィ」ライターがレチフをどう評価したか知りたかった。
2019年12月4日読了