電脳けん玉職人

らくがき

早稲田文学増刊号『「笑い」はどこから来るのか?』

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演劇の歴史を概観できたり、澁谷知美さんによるキレッキレの考察(&相変わらずの根気強いリサーチ…)を堪能できたり、差別の実態を突きつけられたりと色々興味深かったけど、やはり断トツで面白かった(あえてカッコを使わずに用いる)のはナイツ塙さんのインタビューだった。

 

テレビを持っていない僕でもわかる位、ここ最近は「お笑い分析」ブームが吹き荒れている。そしてその牽引者は、間違いなく『言い訳』を著したナイツの塙さんだ。

僕自身はお笑い分析が好きだし、『言い訳』も読んでめちゃくちゃ感動した。ただ同時に、小さくない不安も抱いた。この流れが行きすぎちゃうとヤバくね?と。

塙さんと似たようなことを言う評論家が偉そうに振る舞うのは別にどうでもいい(いつの世も評論家は偉そうにしてるだろうし)。問題は塙さん自身が「評論家」もしくは「お笑いマスター」的な立ち位置に君臨してしまい、自身がつまらなくなっていくことに無自覚なまま、M-1などの舞台で若手をジャッジする存在になってしまうのでは?ということだ。あえて言えば、松本人志さんのように。

 

杞憂だった。なぜなら塙さんは自身の分析をきちんと客観視して、ネタに昇華していたから。

社会への主張を押し出すウーマンラッシュアワーの村本さんについて「結果として、ぜんぶが主張というよりネタになっていく」と語る塙さんは、かえす刀で「分析をさらに徹底してやっていって、最終的に、漫才の途中で自分の漫才を分析するぐらいのネタをつくっちゃえば、もうそれは、ひとつの芸になる」と語る。カッコ良すぎないか……?分析だけして「で、実際あなたは面白いの?」と言われる芸人とは大違いだ……

 

分析において大事なことの一つは、その分析自体も分析対象となりえるのだというメタ認知だと思う。こんな学術チックなことを、塙さんはどんな学者よりも鮮やかに示してくれた。脱帽です。

 

笑いに関する文章(に関する文章)なのに笑い要素がゼロだったので、最後にショボいなぞかけを一つ。本書とかけて、ペット可のマンションと解きます。その心はどちらも「かわなきゃ損」。お後がよろしいようで……

 

2020年1月6日読了